身体の不自由なAちゃんの週末里親になって


【地道にコツコツと生きる若者になってくれたら。】

肢体不自由な子どもを
見守る週末里親

Mさん,Yさんからのお話


Mさんは、肢体不自由児施設に入所している子どもの週末里親として交流を続けています。

親の面会や家庭に帰ることがなかなか難しい状況にあるため、看護師でもあるMさんが、Aちゃんとの出会いをきっかけに週末里親となりました。

Aちゃんが入所している同じ施設の子どもの週末里親をしているYさんも、身体の不自由な子どもに、どのように対応していくのがいいのか模索をされています。

「児童養護施設の他にも、Aちゃんのように週末里親が必要な子どもがいるんです。私たちの経験が、障がいを持っている子どもの週末里親との出会いにつながれば」と期待されているMさんとYさんのお話を紹介します。


脳性小児麻痺のAちゃんとの出会い

私が交流している子どもはAちゃんといいます。
今年の春中学生になります。

看護師として働いていた産婦人科医院を退職して、やっぱり赤ちゃんや小さい子どもとふれあえる仕事がいいと思って、乳児院に採用していただきました。平成14年の秋です。

院内を案内していただいている時でした。

その年の四月に早産の極小未熟児で産まれたAちゃんは、生後半年近くを病院で過ごし、1週間ほど前に退院と同時に乳児院に来た子どもでした。

私はベットで寝ているAちゃんをのぞき、心の中で「同期やね、よろしく!」と思ったのを覚えています。

生後六ヶ月というのに3キロに満たない小さなAちゃんはよく病院通いをしました。

Aちゃんが1歳を過ぎた頃、主治医の定期検診から帰った同僚が部屋に帰るなり泣きながら、

「今日、先生に『この子なぁ、将来自分の足で歩くことは不可能です』って言われてん。脳性小児麻痺やて。」
と言いました。

それを聞いてその場に居合わせた保育士さんたちと「くやしいね」って言いながら、しばらく泣いたのを覚えています。

その後は療育センターでリハビリを受けることになり、Aちゃんなりに忙しい毎日を過ごし、笑顔のかわいい、だけど泣き虫の甘えん坊さんになっていきました。

ですが、「他にどんな障がいがあるんだろう、耳は聞こえているのはわかっていたけど、目は強度の斜視がありどんな風に見えているだろう、言葉を話せるようになるんだろうか」と私たちはいろんな不安でいっぱいでした。

ある日、出勤したときに同僚が「Mさん!Aちゃん、話せると思うよ」というのです。

小さい子はおんぶして散歩に行くんですけど、その日Aちゃんをおんぶして「ちいちい ぱっぱ ちい ぱっぱ」と歌ったら、背中でAちゃんが「ぱっ ぱっ」ってはっきり言ったよ!」と教えてくれました。

私も!とAちゃんに駆け寄りました。「ちいちい ぱっぱ ちいぱっぱ」と笑顔で言ってくれました。

「本当に話せるようになるんだ」と気持ちがぱあーっと明るくなったようでした。

それからはいろんな言葉を話せるようになりました。

乳児院の方針でスタッフを「おねえちゃん、おばちゃん」と呼んでいたので、私のことを「おばちゃん」と呼んでくれていました。
Aちゃんの担当ではないのですが、私たちはなーんとなく気があっているという感じでした。

外泊ができないとなると、Aちゃんがあと2ヶ月で3歳になるというときに、療育センターに行くようにとお話に来られ、事務長さんはじめ上司の方も、「せめて3歳になってから」とお願いしたのですが、「1日でも早く療育のプロに任せましょう」とのことで、Aちゃんとお別れすることが決まりました。

スタッフで精一杯の準備をして、こども家庭センターの方と乳児院のスタッフで療育センターに送っていくことになったのですが、「もし、私に声がかかったら、行こう。そして面会できるか聞いてAちゃんに会いに行きたい」と思っていました。

話は順におりてきて、私が行くことになり、その日が来ました。車の中でAちゃんは大喜びです。

「おばちゃんとドライブや!どこに行くん?」とずっとおしゃべりしていました。
私は涙をこらえるのに必死で、しっかり声もでませんでした。

療育センターでの手続きも終わり、いよいよお別れのとき、私は涙をこらえきれませんでした。

療育センターの先生に抱かれたAちゃんは、エレベーターに乗った私に向かって小さな手をいっぱいに伸ばして「おばちゃーん!」と泣き続けていました。

閉まるドアに頭を下げながら心の中でAちゃんの伸ばした手を握ったんです。
「絶対離さんよ」って。