-追悼に替えて-ある養親と子どもについての回想


ある日、学校から帰ってきたKから「性教育のお話があるから出席してよ」とプリントを渡されました。

予定された日に子どもと参加すると、会場は親と子が隣同志に座るように設定されています。

プログラムの1つに出産シーンのビデオが上映され、内心「うちの子には少し刺激がきついかな」と感じ、隣をそっとみると、真剣な顔してみていました。

上映が終了し、先生が、「愛していない人の子どもを産むこともあるので、性に関しての責任を考えなければならない」というような話をされたことが心に残っていました。

学校を出て、沈黙の中を親子で歩いていると、Kがポツンと言いました。

「わかったわ。僕は愛されんと生まれてきた子やな」

「そんなことないのと違う?そういういい方は産んだお母さんを侮辱するいい方だし、自分自身もばかにしていることになると、お母さんは思うわ」

「・・・・・。そうやな、三億もの(精子の)中から闘って僕は生まれきたんや。暗い過去を明るく生きるわ」

と言い、さっさと家に入っていきました。

もちろん、この会話は養子であることを告げられ、理解しているうえでできたのですが、性教育という場面の中で、養親と養子が血のつながりのある親子が考えもしないことに遭遇している1つの例だと言えます。

子どもが親をとおして、自分の存在や価値観を育てていくことを考えると、厳しいかも分かりませんが、子どもが事実を超えていく力をつけてやるのが、親の役割だと言えます。

告知は「生みの親でない」「血縁ではない」ことを告げることではなく、人生を共にするということで語りあう関係を作ることでもあるのだと、この家族とかかわって思うことの1つでした。

深いところで語り合える関係は素晴らしいことです。


Kさんは「ここに来る前に、幼い頃、住んでいた所、母と一緒によく行った所を訪ねながら来ました」となつかしそうに話してくれました。

そして、今日の訪問のもう1つの目的であったのは、「あの親とのご縁に尽力をしてくださったことにお礼が言いたくて」と、養親が自分にとって無二の親であることを伝えにきてくれたのです。

養父は”えにし”という表現をされていましたが、養父母こそ「あなたと親子になれた縁」に感謝し、人生を送ってきたと思います。

(2020年6月10日:はーもにい第136号より)