もらった愛情のお返しをしたい


【良い人たちに巡り会って、今の幸せがある】

里親家庭で育った女性
ゆりかさんからのお話

~機関紙「はーもにい」に掲載されたのは随分と前ですが、
成人した子どもたちの声を知って頂けたらと思い、ご紹介します。~


ゆりかさん(仮名・当時39歳)は2歳7ヵ月の時、兵庫県山間部の里親宅に迎えられました。

実子や他の子どもたちと暮らし、高校を卒業後は施設でも働き、
結婚して今は2人の子どもの母親として子育てを楽しんでいます。

里父は数年前に亡くなりました。


お父さんは大きい人やった

聞き手
田舎での子ども時代のことはいつぐらいから覚えているかな?

ゆりか
私あんまり子ども時代って印象に残ってないんです。

聞き手
里親宅に行ったのは3歳の時だった?

ゆりか
ちっちゃいときの赤ちゃんの写真を見て、「こんな頃からこの家にいるんやなあ」と思うぐらい。
覚えているのは、母が盲腸の手術で入院していた畳の病室で、母に添い寝させてもらっていたことかな。帰りに三輪車を買ってもらった。

聞き手
お父さんはどんな人だった?

ゆりか
大きい人で、尊敬できる人だった。
いろんな人の相談を受けたりして、家にはよく人が訪ねてきていた。少し大きくなってから、父は「こんな偉い人やったんやな」って思った。

聞き手
深い人やったね。細かいこと言わなかった。怒られたことはあるの?

ゆりか
あります。そんなに怒ったことなかったけど。
私の後に一緒に暮らすようになったTちゃんが悪いことしていたとき、パーっと箸箱が飛ぶんですよ、ご飯食べているときに。あれで、お父さんが怒っているんやなって分かった。

聞き手
心底怒られたことは?

ゆりか
私はないんです。

でも一度だけ、私が高校生のとき、修学旅行で必要なパスポートを取るために戸籍を取り寄せたとき、里親の名前の封筒を私が勝手にあけて戸籍謄本を見たんです。

その時、自分の事情が初めて分かったようなものでした。前からうすうす分かってたけど、私が認めたくなかっただけなのかもしれない。

そのとき寮生活していたけど、高校の寮に行かないで自分の部屋にこもっていたら、父が一週間ぐらいして、軽トラックで来て「近くの町にコーヒー飲みに行こうか~」って言うんです。
私は「行く行く」と言って、一緒にコーヒー飲みに行った。

何の話をするわけでもなく、お父さんが帰りの車の中で一言ぽろっと「なんやかんや言ったって、ちっちゃいころからうちにおったんやろ。わしがお父ちゃんなんやから」って言われて。「そうやなあ」って思いました(涙)

生みの親のこと考えてもしょうがないやんね?
「この人が私のお父ちゃんなんやな~」って思い(涙)それで、「もう学校に行くわ。お父ちゃん送ってんか~」って言って、学校に行きました。

それからやね。「私は頑張って成人するぞ~、いつまでも甘えていられないなあ」って思った。

聞き手
戸籍をみて何を思ったの?

ゆりか
名前を見て「あれ~?」って思った。そこからやね。「私もそうやったんか」って思ったのは。

聞き手
でも、それまでにこの家の実子ではないことに触れる機会はあったでしょ?
それに、お父さんたちは隠していたわけでもないでしょ?

ゆりか
そうなんですよ。他の子どもたちが出入りしていたけど、「あの子らとは違う。私はここの家の子や」って思い込んでいた。
「私だけは違う」って。そう思い込むほど愛されていたのだと思う。

聞き手
お母さんたちが嘘をついていたとか、あなたの中にお父さんやお母さんへの攻撃的な気持はなかったの?

ゆりか
そういう気持はありませんでした。父は「隠してない」って言うのね。私も後から考えてそうやなって思う。
父は、「里親の姓」でなくって「戸籍があるんだよ」っていうことを、私が大きくなってから話をしようと思っていたらしい。不信感を抱かない私に、早くから話をしようと父は思わなかったんだろうなって。

聞き手
それで、高校を卒業して名前はどうしていたの?

ゆりか
名前は「元の姓」に戻したんです。高校の先生が卒業証書を一人一人教室で渡すでしょ。そのときは「里親の姓」で読んでくれたんです。それをみんなに見せないように隠してね。町で働くのも「元の姓」でした。

聞き手
元の姓には馴染んでないよね。愛着がないというか。

ゆりか
ぜんぜん馴染んでいません。元の姓を使ったのは、それこそ2年間だけ。すぐに結婚したし。私は「里親の姓が自分の苗字だ」って思っている。