身体の不自由なAちゃんの週末里親になって
それから月2回ぐらいでしたが、Aちゃんに面会に行っていました。
しばらく経って課長さんから「Aちゃんの週末里親に」と話があり、車椅子の必要なAちゃんの週末里親になりました。
外泊もするようになりました。
家では一緒に買い物に行ったり、食事をしたり、お風呂に入って寝るというごく普通のことがとても楽しそうでしたが、施設に帰るころにはいつも激しく泣いていました。
泣いてばかりではだめなこと、次の外泊を楽しみにまた面会に行くから、と何度も何度も話しました。
Aちゃんはその時はとても良い返事ですが、帰る時にはやはり泣いてしまいました。
療育センターで3年ほど過ごし、今の肢体不自由児施設へと移るとき、療育センターの職員から「新しい施設に移ってもAちゃんに引き続き面会に行かれますか?」と聞かれ、了承しました。
今の施設に入ってからは、家庭養護促進協会のお世話で週末里親を続けさせていただいております。
成長と共に介助が困難になってきた
小学生になると、外泊のときには「あれもしたい、これもしたいと自分で計画を立てて施設で楽しそうに話しています」とスタッフさんより聞き、「外泊できないお友達もいること、その子の気持ちも考えて黙っていよう」と約束したこともあります。
面会のときは、近くのイズミヤやイオンによく行きます。
私は運転免許がなくて車椅子を押していくのですが、私たちが普段歩いたり自転車に乗っているときは感じない、道路の傾斜や3センチぐらいの段差で、車椅子では苦戦することがあります。
外出して一番困るのはトイレです。
馴れないところでは車椅子トイレを探すのですが、見当たらず尋ねると少し離れたとこにあり、「がんばれ、我慢して」と言いながら、「あーあ、社会は健常者仕様なんだ。この子どもたちがもっと暮らしやすい社会ってまだまだや」と腹立たしく思いながら急ぐこともありました。
小学校高学年になると、「自分の親のことを知ってる?僕のお父さん、おるん?」と私に聞いてくるようになりました。
お父さんとお母さんがいて、Aちゃんがいること、「きっと忙しいんやろ?」ぐらいしか話しませんでした。
生後6ヶ月からずっと近くにいる私の言うことはよく聞いてくれていましたので、このことは自然にAちゃんなりの感じ方で理解していってほしいと思っていました。
Aちゃんの成長、心も体もみて感じてこられたことは里親としてとてもうれしいことです。
仕事で疲れたときなど「あー、もうすぐ面会日!」と思うとなんだか元気になるようでした。
昨年ぐらいからAちゃんは体の成長もすすみ、背も高く体重も重くなりました。
それに対して私は年齢も進み力がなくなってきて、一番困るのは入浴のときです。
体を持ち上げ浴槽に足を入れられなくなってきました。
昨年の夏、外泊をしたとき、「あー、これで限界かな」と思い始め、無理すると二人とも怪我するし、かといってあんなに外泊を楽しみにしているのに、外泊は無理っていうととっても悲しがるなと思うと、なんて言っていいのかわからず、どうしようかと思っております。
でも、Aちゃんも中学生です。理解してくれるだろうと信じています。いろんなことを乗り越えて地道にこつこつと生きる若者になってほしいと願いつつ、週末里親を続けられたらいいなと思っています。
まだ、Aちゃんには「外泊できない」って話してないのですが、それが最近の懸念です。
面会に行ったとき、いろんなことを考えるとぞんざいな返事になってしまうのです。
「おばちゃん、(夜勤)明け?」ってききます。
「夜勤明けの時は不機嫌なんだ私」って思って反省したりもしています。
でも今日この会に参加することになり、「誰にも相談できないことじゃなかったんや、同じ立場の週末里親さんたちがおられるんや」って思って、なんだか今日はいろんなお知恵を拝借できるのかなと思って楽しみに来させてもらいました。