ぼくはラッキーだった
【里親さんとの出会いがなかった子どもはどういう人生を送っていくのか】
里親家庭で育った男性
からのお話(Sさん)
里親さんや仲間との出会い
私は、小学校1年生から中学卒業まで里親さんのところでお世話になりました。
最初のころ、自分では事態がよく分からなかったです。
里親さんのことを「おかあちゃん」と呼んでいたことと、手をずっと握っていたことだけはよく覚えています。
里親さんの家には、自分と姉と、里父、里母、先に委託された兄弟との6人で生活していました。
自然に包まれた環境で、隣の家まで200mぐらい離れてポツンとある一軒家でした。そこで走り回って遊んでいました。
小学校2年生の時に転校したんですが、「なんで親と名字が違うねん」と尋ねられました。
でも全然気にならずに「それがどないしてん。だったら何やねん?」と返していました。
授業参観や行事の時の送り迎えには必ず里親さんが来てくれてました。
そんな時も周りから「なんでおばあちゃんが来てるん?」と言われるんです。
「いいや、お母ちゃんや。それがどないしたんや」と言い返していました。
全然恥ずかしいとも思っていませんでした。僕にとっては大好きな里親さんでしたから。
当時、里母さんは50代後半だったと思います。私で9人目の里子だったそうです。
正月、お節料理、かるた遊びに始まって、季節ごとに行事に参加して季節感を感じる生活でした。
そんな中で夏といえば「ぽんぽこキャンプ」。このキャンプは大好きでよく行きました。
そこで出会う友だちなんやけど、自分と同じ境遇なのかどうかは分からない。
「お前もオレと一緒なんか」とは訊けないんです。訊いたところでどうにもならないし…だったら訊かんとこうという気持ちでした。
毎年恒例の「初笑い大会」にも参加していました。そしたらまた同じ子どもたちと出会うんです。
また逢うたなと思うんですが、「まあええか」とそれ以上は踏み込まなかったです。
里親さんは必ずそういう行事には連れて行ってくれました。里親会の総会とか協会のバザーにもね。
総会の年間計画とか会計報告とか全く訳が分からんのですが、ずっとお母ちゃんの手を握っていました。