-追悼に替えて-ある養親と子どもについての回想


【養親家庭との40年の歳月の記録と記憶をたどって】

ケースワーカーからのお話


私と養親家庭との40年の歳月の記録と記憶をたどりながら、
追悼の気持を込めて、過去に養親さんからお聞きした話を再掲し、
感想を添えさせていただきました。
一部個人情報への配慮をしています。


久しぶりに養子のK君が「連絡とご挨拶に」ということで、事務所を訪ねて来てくれました。

以前、養親宅で出会ってから十数年ぶりでした。

当時1歳だった子どもを含めて3児の父親となっていました。

「連絡」というのは母親が闘病の末に亡くなったことでした。

葬儀をすませ、養親宅から新幹線で自宅に帰る途中でした。

 

Kが小学校2年生の時に告知をしました。

自分たちが生んだのではないけれどもお父さん、お母さんであることには変わりがないと改めて話しました。

それまでにも時々、そういう話をしていました。

幼稚園の頃は
「わかっている。まかせといて!
と、軽く返事が帰ってきたのですが、小学校2年生の時の反応はそれとは違ったものでした。

「やっぱりそうやったん」
「赤ちゃんの時の写真もないと思っていた」

少し沈黙のあと、生みの母についてふれてきました。

「どうせしょうもない親やったんやろ」
と、ぽろっと、涙をこぼしました。

「生んだお母さんは若くて育てることができなかったらしい。きれいな人だと聞いているよ」

そう話すと、何も言わず、一人で2階に上がっていきました。

しばらくして、意外な反応がありました。

「産んだお母さんがわかった。A(ケースワーカーの名前)さんと思う」

私はAさんの仕事を説明し、何かの時には援助を求めることができるのだと教えました。

 

最近のAを知っている方は「え!母親と」と思うことに違和感があるとは思いますが、一昔前の頃です。

彼の私についての反応は、K君が子どもながらに、親類や親の知人との付き合いとは違い、自分と何らかの大事な関係がある人だと感じ取っていた結果だと思います。