-追悼に替えて-ある養親と子どもについての回想


それから数ヶ月後のある夜、枕を並べて寝ていると、「お母さん、人間は絶対死ぬの?」とKからの突然の質問でした。

「そうね、他のことはいろいろ可能性があるけど、人間はいつか死ぬから、絶対といえるかもしれないね」

「お母さんは僕より先死ぬね」

「そうよ、お母さんはKちゃんより年を取っているから先に死ぬね」

「天国いくの、地獄いくの」

「お母さんは他人に嫌われるようなこともしてきていないので、天国に行く自信があるけど 」

「僕も悪いことせんと天国いくわ、行くから待っといてよ」


こんなやさしいことを言ってくれるKをいとおしく思いました。

この数ヶ月の間に、あの子は幼いなりに人間の根源的なことである「どうして生まれて、自分にとって親とは」といろんなことを考えていたのだと確信しました。

私たちに思慕を表してくれたことに深い喜びも感じました。

その時、こんなすばらしい子に精一杯生きて欲しいと思ったのです。


「Kちゃん、お母さん言っておきたいことがあるの。

命を大切にして欲しいと思う。どんなことがあっても自分で命を縮めるようなことがあっては、天国でお母さんと会えないと思う。

人生をゆっくり楽しんでからきてね。

お母さんはいつまでも待っていることができるからね」

「うん、本当に待っていてよ。約束だから」

親を選ぶことができなかった子に、自分たち夫婦が選んだ子どもとして、できるだけ彼の人生を応援したいと養父母は思い続けていました。

こんなふうに生きることの大切さを話し会える親子を前にして何度も胸が熱くなります。