ぼくはラッキーだった


里親さんから教わったこと

里親さんの養育方針は3つあり、口癖のように
「腹が立ったら横になれ」
「感謝する気持ちを持つこと」
「人の痛みが分かる人間になりなさい」
と言っていました。

これは事あるごとにずっと言われていました。

子どもの時は何のことか理解できなかったんですが、成人してからはよく分かります。

あと、食べることには厳しかったです。
箸の持ち方、食器の位置や持ち方、マナーなど、とにかく「食べ方一つで育ちが分かる」と言われていました。

自然の中の生活ですから、風呂を沸かすのも薪でした。薪も集めて薪割りもしました。
蜂に刺されたときは蜂退治で巣をつぶしに行ったこともありました。

中学生の頃には農作業の手伝いをよくさせられました。

「遊びたいのに何でこんなことせなあかんねん。野菜嫌いやのに…」
と思いつつ、手にマメができるまでしていました。

口答えすると鎌や備中ぐわが飛んできてましたからね。命がけですよ(笑)

最上級のありがとう

里親さんのところにいたのは小1から15歳までの8年間でしたが、いろんな思い出が詰まっています。

私は縁があって里親さんと出会って本当にラッキーだったのですが、「こういう出会いがなかった子どもはどうしたんかな」と思いを巡らすことがあります。

「施設からそのまま社会に出ていくとどういう困難に出会うのか…」と時々考えます。

その里親さんが亡くなるとき、ベッドの傍で、頭をなでながら最後の鼓動が止まるまで付き添って看取りました。
そこで「ありがとう」と言いました。

そのほかの言葉は出なくて、それだけだったのですが、私の人生の中で最上級の「ありがとう」でした。

通夜も斎場に泊まって一晩里親さんに付き添いました。

里親さんとは遊んだことしか覚えてないです。あとは叱られたこと。

でも目一杯甘えました。そしてどんな時も里親さんは精一杯応えてくれました。

これまでいろんな先生に出会ったけど、お母ちゃんが1番の先生でした。今でも思いついたときに墓参りに行っています。

でも、里親さんが亡くなると私の帰る場所がないんです。
里親さんが居た時は寂しくなかったのに、今は結構寂しいです。

だから、里親さんとの出会いがなかった子どもはどういう人生を送っていくのか、最近余計に気になるんです。

結婚前に戸籍謄本をとってみたら、自分の両親は亡くなっていました。
いつかは会いに来るだろうと思っていたし、それが微かな励みでもあったのですが、叶わなかったんです。

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