看護師になったよ!


【成人した養子へのインタビューシリーズ】

養子縁組家庭で育った女性
みわこさんからのお話


みわこ(仮名)さんは25歳。
小さい頃から看護師になりたいと思っており、看護学校を卒業して病院で働いています。
昨年結婚しました。


3歳からはじまった季節里親

聞き手
みわこちゃんはいつぐらいから自分がこういう状況になったのか、覚えてる?

みわこ
学園にいたことは覚えてる。

3才か4才頃から里親のMさんのところへ季節里親として行ってたと聞いてた。
M宅にはお姉ちゃんもいたし、楽しかった。

夏休みに入って、学園のキャンプだけは行かなあかんっていう決まりがあったので、学園のキャンプが終わってから、8月末の盆踊りの手前くらいまでずっとM宅に行ってました。

聞き手
阪神大震災のときはいくつだったの?

みわこ
小学校2年生だった。

そのときにお母さんが会いに来たっていうのもあんまり顔も覚えてないな。
母親への記憶がないからお母さんのことはどうでもよかったんかな。

学校へも行けなかったのですぐ季節里親のM宅に行き、そこから3月が終わるまでそっちの学校に行って、4月からこっちの学校に戻ってきた。

看護師を目指して

聞き手
いつ頃から看護師になりたいと思ってた?

みわこ
学園にいたころから、看護師になりたかった。

小さい頃からテレビで病院ものの番組をよく見てたから。

聞き手
看護師のテーマの番組?

みわこ
そう、「命の現場から」っていうお昼のドラマも見てた。

学園にいても、看護学校まで行かれないと思っていたし、高校出たら施設を出ていかなあかんと思ってた。

結局どうやって看護学校行こうかなって考えてたら、Mさんが「うちから通っても良いよ」って言ってくれたから、中学2年生の3学期に里親さん宅へ行くことになった。

聞き手
親権持ってるお母さんに承諾してもらわなあかんから、お母さんに手紙を書いたね。

多分園長先生がそういうふうにアドバイスしてくれて、書いたと思う。

それでみわこちゃんの意思を尊重して、それが実ったんよね。

みわこ
神戸から転校して来たっていうだけで、授業終わって休み時間になったら教室の廊下に「うわー、見て転校生や」って人が大勢来たのは覚えてる。

高校は制服がかわいかったからそれで選んだ。

高校は楽しかったから勉強は頑張ったし、先生とも仲良かった。
わからないことがあると「教えて教えて」ってずっと職員室に入りびたっていた。

だから高校は一番楽しかったなあ。

聞き手
看護師さんになりたいと小さいときからずっと思ってたのはどうして?

みわこ
とりあえず資格を持ってると、将来食べていけるかなって思ってたから。

最初は美容師と保育士と看護師、3つくらい考えてたけど、美容師は下積みが長いし、あんまり給料も良くないって聞くから、美容師の選択はなくなって、

保育士はピアノができないとダメ。ピアノは好きで弾いてるだけで、みんなの前で弾いたりできるようなもんじゃないから、無理かなって思った。

そしたら看護師しか残らないから、看護師になった。

手に職をつけとかんと、何があるかわからないから。
家でもよく言われてた。「手に職付けや」って。

お姉ちゃんが結局なにも手に職付けないまま就職してたから、お姉ちゃんからも言われた。